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伝える。To Teach

Akira Sasaki
  • JR渋谷駅着、新潟に向け出発
  • 鶴岡市道の駅「あつみ」にて
    岩牡蠣とサザエを食べる
  • 月山スキー場到着
  • 山頂到着
  • 下山
  • 夕食
  • 米沢屋旅館に宿泊↓
  • 東京へ向け出発
  • 帰宅

Place

@山形県 月山
N 38°49 E139°99'

Profile

佐々木明
スキーヤー
1981年北海道生まれ。
ソチオリンピックへの出場やワールドカップで受賞する傍ら、2011年から雪育の主要メンバーとしても活動する。

小さなことでも、
ひとりひとりと繋がっていくことの方がよっぽど大切

雪の結晶は透明なのに、なぜ雪は白いんだろう? 山の天気が変わりやすいのはなぜ? 雪下野菜が甘いのは? パウダースノーよりも上質な“シャンパンスノー”って何? 普通の雪と何が違うの?

太宰治の小説『津軽』の冒頭で、こな雪、つぶ雪、わた雪、みづ雪、かた雪、ざらめ雪、こほり雪という7種類の雪の名称が描かれているように、日本にはさまざまな種類の雪が降る。このように日本は雪と関わりの深い国でありながらも、雪について、あまり多くを知らない。普段目や耳にすることは、たとえば昨年大きなニュースとなった雪崩や雪山での遭難といったネガティブなことである。こうした雪の怖さはもちろんのこと、かけがえのない資源として、雪の魅力をポジティブにも伝えるのが、“雪育”と呼ばれるもの。ソチオリンピックや数々のワールドカップにも出場し、プロスキーヤーとして世界で活躍する佐々木明(以下、明さん)もまた、この雪育を推進するメンバーのひとりであり、雪という自然の恩恵を後世に「つたえる」ひとりでもある。

「オリンピックに出たとか、ワールドカップで表彰台に立ったとか言うと、たくさんの人たちはもっと大きなことができるでしょと思うだろうし、自分もそうだと思っていました。でも、壮大なことをどーんとやることよりも、ひとりひとりと繋がっていくことの方がよっぽど大切だなって仲間たちと話をしていて感じたんです」

明さんが、雪育などの活動に携わることになったきっかけは、3.11の震災で被災された方からの言葉だった。『できる人間ができるときに、できることをやれ』。それから、体力があるうちにできることをやると決めた。アルペンスキーヤーとしての引退は業界に波紋を広げたが、明さんの決断は揺るぐことはない。以来、仕事も遊びでも、小さいことも、大きいことも、一所懸命取り組む。今回の“36時間”もまた、山形県にある日本百名山のひとつ月山(がっさん)で、スキーをするのはもちろんのこと、雪育、そして日本海の海の幸を全力で楽しむことだった。

出発は午前3時。あいにくの雨のなか、 雪育を体験したいという佐々木好さん(以下、好さん)を連れて出発した。明さんは、ガスバーナー、スコップ、ドリップコーヒーなどをバックパックに詰め込み、愛車のジープにスキー板やスキーブーツを入れ、550km離れた山形県の中央部にある月山へ向かった。

雨がやみ、朝焼けが車の窓からさし込んだ頃、車は新潟県と山形県の県境、日本海沿いを走行していた。そして、道の駅「あつみ」で車を一旦停め、地元の海女さんが早朝採ってきたばかりの岩牡蠣の磯焼きやホタテ、サザエなどを口にする。そのぷりぷりの食感とサイズは東京でもなかなか味わえない代物だった。

目的地の月山に着いたのは、10時30分ごろ。6月初旬にもかかわらず、週末のスキー場には、プロからアマチュアまで熱狂的なスキーヤーやスノボーダーたちで賑わっていた。その景色は、一瞬、6月であることを忘れてしまうほど。「せっかくだから山頂でお茶します?」という明さんの提案もあり、途中までリフトを乗り、8合目付近から山頂までをトレッキングすることにした。雪山の恐ろしさを知る明さんだからこそ、好さんに無理のないように、滑落しないように、しっかりとスキーブーツで雪を踏み込み、トレースできるような足跡をつけ、山頂を目指した。しかし、さまざまな方角から冷たい強風が吹きつけ、体力を奪う。不慣れなものにとっては険しい道のりである。そしてときより濃霧が舞い、わずか5メートル先ですら見えないようなホワイトアウト状態も。しかし、雲と雲の間から垣間見られる山形盆地と奥羽山脈の絶景、さらに目を開けることが困難なほど眩しい太陽の光の暖かさに、ほっとするひと時を味わうことができた。

行動を起こすことによって、なにが生まれるかっていうとチャンスをつかむための扉をノックする権利をもらえる

山頂に到着したころ、すでに空腹だった。明さんは、バックパックからスコップをとりだし、手際よく簡易的なキッチンを作り始めた。雪の上に、見取り図を書き、その図形通りに約1mほど雪を掘り、風よけを作る。20分もかからずに完成すると、早速お湯を沸かし、コーヒーを淹れる。温かいコーヒー同様、大きめのおにぎり2個と唐揚げ、卵焼きに、小エビの佃煮が入ったお弁当、さらに明さん手製のマカロニサラダは、いつも口にするそれよりも格段に美味しかった。こうしたエクストリームな環境下にいると、感覚が研ぎ澄まされ、些細な恵みを最大限に感じることができる。雪山ならではの体験にそこにいる誰もが感動した。

空腹も満たされると、山頂からスキーで下山。斜面がきつく、ほかのスキー場に比べると難易度は高い。5年ぶりのスキーという好さんの足は震えていた。しかし明さんは好さんに手取り足とり教えながら、ゆっくり滑走。麓が見えてくると、明さんは好さんを背中に抱えて滑るなど、緊張感から解放された好さんは笑顔だった。

ほぼ半日間、明さんから雪育を受けながら、山頂までトレッキングし、そして久しぶりにスキーを経験した好さんは振り返る。

「山頂に着くまでは、明さんから教わった知識一つ一つを体験に変えていました。蛇行すれば疲労しにくい、ガニ股で登れば滑りづらいなど……。リフトを降り、雪山を登りはじめたばかりのときは、自分の足は若干震えていたし、慣れない雪の傾斜はもちろんのこと、視界を遮る濃霧や刻一刻と変わる風向きや強さが不安でした。こうした山ならではの急な天候の変化に対応できませんでした。けれども、山頂からのスキーでは、何度も転びながら、斜面がどちらに傾いていたのか、どのようなサーフェスだったのか、経験を知識に変え、滑っていることが実感できたと同時に、雪との関わりを純粋に楽しめるようになっていました。下山を終えたときは、疲労感より充実感の方が強く、友達と来ていたら「もう一回!」って言っていたと思います」

結局雪育というのは、スキーだったり、スノーボードだったり、雪に関して何かをしていることである。「食育」という言葉が普及しているように、みんなができること。それぞれの地域にあるものの特性や良さを把握し、そして行動する。北海道という場所に生まれ、3歳からスキーを始めた明さんにとって、雪やスキーはライフスタイルの一環で、雪の魅力を伝えることはごく自然だった。「自分に何ができるのか」、「自分は何をしなくてはいけないのか」。明さんは言う。「行動を起こすことによって、なにが生まれるかっていうとチャンスをつかむための扉をノックする権利をもらえるんです」。