DIVERSE VISIONS WILL REBORN EVERYTHING

都市と美容。
すべては”ヴィジョン”で生まれ変わる
電通・高崎卓馬 × CHICO SHIGETA

写真:神藤 剛 編集:奥原麻衣子
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都市と美容。<br />すべては”ヴィジョン”で生まれ変わる<br />電通・高崎卓馬 × CHICO SHIGETA

ありのままの自分を見せることが、美しい。と、世の中の視点が変わってきた。時代とともに、進化する都市と世の中の意識。これからの未来、健康や美容のヴィジョンは、どう変わっていくのだろうか。そのリアルと未来を、広告業界のトップクリエイターの一人高崎卓馬さん、そして生活の拠点をフランスに置きリアルビューティーを提案するSHIGETAのCHICO SHIGETAさんに、それぞれの目線で語ってもらった。新緑に包まれる目黒川沿いにあるコミュニケーションプレイス『The Works』で作る側、伝える側という一見相反する二人を迎え、ムラカミカイエが、その真髄を問う。

高崎卓馬 (電通クリエイティブディレクター)
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CHICO SHIGETA (SHIGETAクリエイティブディレクター)

聞き手:ムラカミカイエ

アウトサイダー思考よりも、客観性

ムラカミカイエ(以下/ムラカミ):高崎さん、SHIGETAの製品を使っていると小耳に挟んだのですが、何を使われているんですか?

高崎卓馬(以下/高崎):リバーオブライフのオイルを使っています。

CHICO SHIGETA(以下/チコ):本当ですか?嬉しい!血液という意味です。これは、血流をよくするためのオイルなんです。

ムラカミ:ネーミングもいいですね。

高崎:妻に勧められて使い始めて、4年以上になるかな。ジュニパーウォーターも試してみたことがあります。

チコ:いかがでしたか?

高崎:体から悪いものが出て行くのがすごくよくわかりました。最初微熱が出て、だるくなるんですけど、しばらくすると軽くなって。体の中の方程式のようなものが、変わったように感じました。

チコ:身体が素直ですね。

高崎:そう。買った時、言われた通りに身体がなった。すごく健康な状態が続きました。

ムラカミ:それまで、健康を気遣ってされていたことはありますか?

高崎:ほぼ、ないですね。若い頃は体に悪いことをするほうが、なんとなく心のバランスが取れたりするから。それに憧れていた人たちって、みんなどこか社会性がなくて、壊れていたりもして。時代だと思うんですが、その頃の憧れみたいなものが僕のなかに染みついていて…。偏っているひとのほうが、面白いアウトプットをする、みたいな思い込みがどこかにあったんですよね。

チコ:それは、たしかにそうかもしれない。

高崎:だから不健康なほうが格好良かった。

ムラカミ:失礼かもしれないですが、いまの高崎さんからは、全く想像つかないですね(笑)

高崎:一応、会社員をやっていますからね。社会という強烈な仕組みと関係していくうちに、今にたどり着いているというか。でも、“アウトプットするための人生”と考えると、狂気に身を預けられない弱さもありますね、そこは。

ムラカミ:その、アウトサイダー思考のルーツは、文学から?

高崎:それは強烈にあります。小説は、子供の頃から今に至るまでずっと自分のなかで特別な領域。大学時代は、映画に夢中になってしまって、ずっと自主映画を作っていました。30万くらいした8mmカメラを毎日持ち歩いて。アルバイト代は、すべてフィルム代に消えていました。少し上の世代に園子温さんがいて、彼はスーパースターだったんです。当時は、僕らにとって神様のような存在。主張が表現になるなんて、奇跡のように見えていましたから。

ムラカミ・チコ:なるほど。

高崎:でも、今の仕事はとても自分にフィットしている気がしています。一番最初に学んだのは、“伝えることと、伝わることの違い”。その誤差の少ない表現を作ることが、広告には求められている。その追求が、本当に面白いんです。僕みたいなバランスの人間には、一番良い仕事なのかもしれません。

チコ:アングラと、大衆のバランスということですか?

高崎:そうですね。広告業界ってちょっと変なんです。わりとみんな売れてないものが、実は好きだったり。映画でいうと単館映画が好き。メジャーなものは嫌い。みんなが見ているテレビ番組は嫌いで、深夜番組が好き。そういうところに自分の好きなものがあると思っているし、僕自身もそうでした。広告を作るときには、みんなが既に好きなものをつくっても仕方なくて。最大公約数的表現では、人はまったく動かないですから。みんなが好きなものは嫌いなのに、僕が好きなものはみんなに好きって言って欲しい。先に見つけて、みんなに知らせる。そういうことが根っこの部分で好きな人間には、とても向いているんじゃないでしょうか。

チコ:それって高崎さんに客観性があるからですよね?

高崎:それが本当に必要なんです。広告は人がいいと思うものを、どうやったらいいと思うか計算して作らなければいけないから、客観力が必要。作っている時は夢中になるけど、人がどう思うかを想像して一歩引いてみることが、すごく大事なんです。なかなかこの筋肉をつけるのが大変なんですけどね…。
最近作ったCMが、桐島かれんさんと黒木華さんが出演しているオールフリーのCM。そこで流れる、松田聖子さんの「渚のバルコニー」を、奇妙礼太郎さんに歌ってもらったんです。CMでは、普通は歌い手さんのクレジットをいれるものなんですが、今回はわざと伏せました。映像を見ているときに疑問が生まれたら、その疑問はコミュニケーションの大切な芽になる。でもそこに答えがあると、その芽は「へえ、そうなんだ」で、終わってしまう。そこを伏せると、知りたいから次のアクションが生まれる。つまり「検索」する。そこにもうひとつ工夫しました。企業のサイトでも奇妙さんのクレジットを載せなかったんです。検索して正解らしいものがでてこないと、僕らってものすごく不安になるんですよね。検索するとほとんどのことがわかると思い込んでいるから。そうなるとその「知りたい」の芽は急成長します。あれ誰?とSNSで書き始める。人がメディアになって、情報が急速に拡散していくんです。ちょっとした思いつきでやってみたんですが、面白かった。
情報が欠けていると、人はそこを埋めようとする。そういう工夫が、今とても大事だと思っています。小さなことかもしれないけれど、丁寧にそういうことをやっていかないと話題をつくることはできない。まあ、こういうとき自分ならどうする?というのが、すべての答えを教えてくれるんです。答えは自分の中に既にあるので、それを注意深く見つめるというか。そういう発見がいつもあるから面白い。

チコ:ちなみにその騒ぎが起きた後、どうなることが“効果が出た”ということになるんですか?

高崎:商品が売れる、ということに尽きます。売れるために必要なことを全部積み上げていく。愛されるというのも、そうかもしれない。一度使ってみるという体験へ人を誘導するのも、そうかもしれない。使っているひとの自尊心を満たすものも、そうかもしれない。誰かがアレいいよと言いやすい環境をつくることも、そうかもしれない。そういう周辺を整えて、人の行動を作っていく。“自分に関係のある商品だ”という情報が、たくさん集まっていく必要がある。奇妙さんの音楽が好きな人と、オールフリーという商品を愛してくれる人の像が、僕のなかでは一致しているんです。世界との距離の取り方が似ているのか、いいなと思っているような人たちの顔が浮かぶ。だからその周辺で話題になることをするのは、とても有効だと判断したんです。

ムラカミ:高崎さんのお仕事には、共通してストーリーテリングがあります。商品とオーディエンスの間に、心象風景を生み出して、情緒的な関係をじわじわと積み上げていくような。一般的に広告代理店の仕事は、打ち上げ花火的と言われがちですけど、その最たる中心にいながら、業界慣習に囚われていない作風の源泉には、なにか信念や、きっかけみたいなものがあったんでしょうか?

高崎:広告は、僕らが子供の頃すごく面白くて、一つのカルチャーだった。広告が何を言うのかに、すごく興味があったし、そこに書いてあるもの、だれが書いたか。それを知ることは、音楽を知ることくらい格好良かった。今は、ちょっと叩いて逃げる、みたいなものが多いかもしれないですね。広告は確かに、その瞬間だけのものだから。5年後古くなっていて当たり前だし、みんな忘れちゃう、そのよさもある。でも自分の中には、かつて好きだったものが残っているんです。シンデレラエクスプレスのCMが好きで、15秒、30秒の世界だけど、そこから学んだことは、意外と大きなものだった。好きな子と離れるってこういうことなんだとか、もう一回会えるときは、こういう表情をするんだとか。そういうことを教えてくれるコンテンツだったから。僕はやっぱりそういう映像の力を信じていて、その力に対して自分も真面目に向きあって生きていこう、と思っているからかもしれないですね。

高崎:突き詰めると、“心の動きをつくること”に最大の興味があって、アウトプットの形にあまり縛られずにいようと意識しています。たまたまテレビだからこんな形までいけたとか、映画だからこのテーマに肉迫できたとか、広告だから実験ができたとか、それぞれの良さがあるのでそこは生かしたいけれど、必要以上に境界線を引いてしまうと、損をすることも多いとは思います。もちろんその業界、その世界だけを極めたスキルの凄まじさはある。僕は広告の人間だから、余計にその境界が甘いのかもしれません。でも、最近山田洋次監督とよく一緒にいるのですが、同じようなことを言われました。カメラの前で役者が芝居をする。そのことを人が面白いと思うか思わないか。だから広告だ、映画だ、という風に枠を持ち込んではいけない、と。「広告だからって甘えを持ち込むな」という意味だったのでハッとしました。作る時の覚悟は、同じであるべきだなと。
逆に言うと、観ている側にとっては、その境界線がなくなってきているということかもしれませんね。僕らは常に観ている側でもあるので、越境する面白さと、突き詰める純粋さ。その両方が大切だと、感じています。

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