THE MAGIC OF HIGH HEELS

田中杏子さんの「10cmヒール」

写真:平岩紗希 取材・文:林理永
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田中杏子さんの「10cmヒール」

“ハイヒールしか履かない”

イヒールを履いて毎日の忙しいスケジュールをこなす、Numéro TOKYO編集長/ファッションエディターの田中杏子さん。「10cmのハイヒール」。それが彼女の身体の一部であり、絶対に外せないスタイルである。多い時には、100足以上のハイヒールを所有していたという。スニーカーやフラットシューズが主流になりつつある女性のファッション。それでも彼女がハイヒールを履き続けるのは、どうしてなのだろうか?

─普段から、絶対にハイヒールを履いているんですか?
ONの時には、絶対にハイヒールを履きますね。仕事、プライベート関係なく、“パブリックの場に出る”ということがON。クラブで踊る時も、外食する時も、必ずハイヒールです。
昔は、どんなに歩きにくい場所でもハイヒールを貫いていました。山でも川でも海でも。周りに「大丈夫?」と心配されながら…(笑)

─そんなところでも! それは、どうしてなんですか?
ファッションのスタイルとして、自分の中で絶対的なバランスがあるんです。10cmヒールくらいが一番バランスが良い。フラットシューズだと、どうしても、そのバランスに仕上がらないんですよね。
大変そう、と思われるかもしれませんが、慣れますよ。私はもう、ハイヒールじゃないと歩けないんです。フラットシューズだと歩き方が変になっちゃう。
それに、ハイヒールを履いていないと、私自身のテンションが上がらないんです。一緒にいる周りの人達も上がらないと思うし。

─いつからハイヒールしか履かなくなったんですか?
はっきりは覚えていませんが、ミラノから日本に帰ってきてからですかね…。東京で仕事をし始めて、自分で自由に物を買えるようになった時に選ぶものが、「美しいもの」だったんです。
イタリアって、大人の女の人と、若い学生の女の子達の服装が明らかに違うんですよ。ヒールを履いて颯爽と歩いているのは、大人の女の人。スニーカーやフラットシューズは若い子達が履くもの。だからずっと憧れていた、というか、コンプレックスに思っていたのかもしれません。私もその頃は若くて自由に使えるお金も少なくて、素敵な靴が買えなかったので。

─何足くらい持っているんですか?
今は50足くらいだと思います。昔は100足以上持っていたんですよ。でも数年前に、履かない靴を、沢山捨てたんです。靴箱に入りきらなくて(笑)大体、1シーズンに2~3足くらいは買っています。

─その1足1足を大切に履いていらっしゃるんですね。
そうですね。美しいものは、大切に扱うようにしています。
前に、PRADAのオーストリッチ素材のハイヒールを履いて友達と表参道のカフェにいたら、激しい雨が降ってきてしまったことがあったんです。車を停めているところまで少し歩かなくちゃいけないけど、雨の中を歩いたらオーストリッチはダメになってしまう。だから、すごく悩んだ末に「私、裸足で歩く!」って言って(笑)結局、私の勢いに押されて、一緒にお茶をしていた男友達がおんぶしていってくれたんですけどね。優しいですよね。でもそれくらい、大事にしているんです。この靴は絶対に濡らしちゃいけないって。

─今の日本の若い女の子達は、ハイヒールを履かずにスニーカーやフラットシューズが主流になっているように思いますが、それについてはどう思いますか?
それがトレンドというか、定番になっているのかな? 今は、トップメゾンでもスニーカーを発表していますからね。
でも、ヒールを履いている方が絶対、脚がキレイになると思います。足首もきゅっと締まるし、脚全体が引き締まりますよ。スニーカーばかり履いていると、スニーカー脚になってしまうと思います。
女性にはやっぱりハイヒールを履いて欲しいな。美しいじゃないですか、ヒールって。女性の特権だし、気が引き締まるし。靴さえキレイだったら、どんなにゆるっとした服を着ていても、全体のスタイルがモードに仕上がるんです。どうしてもハイヒールが苦手な子は、厚底で太ヒールのものを選ぶと良いと思います。余裕で走れてしまうくらい、履きやすいですよ。

この日、杏子さんが履いていたのは、“JIMMY CHOO”。

(左から)Sergio Rossi、GUCCI、GUCCI、Christian Dior、Christian Louboutin/すべて本人私物

about her

FASHION EDITOR
田中杏子

10月30日生まれ。ミラノに渡りファッションを学んだ後、第一線で活躍するファッション・エディターのもとで、雑誌や広告などに携わる。帰国後はミラノでの経験を活かし、フリーランスのスタイリストとして活動。流行通信やELLE JAPONの契約スタイリストを経て、VOGUE NIPPON創刊時より編集スタッフとして参加。ファッション・エディターとしてのキャリアを重ねるとともに、広告やTV番組の司会、また資生堂「Maquillage」キャンペーンのファッション・ディレクタ−の職を2年間兼務するなど多方面で活躍。2005年11月より『Numéro TOKYO』の編集長に就任。編集長としてのみならず、同誌ファッションページのスタイリングや、他ブランドのアドバイザーやディレクションなども行う。


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