ABOUT THE RULES OF CREATION

Vol.01 HAT MAKER《KIJIMA TAKAYUKI》
不得意から生まれたクリエイションのルール

写真:河津達成 文:神田春樹
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Vol.01 HAT MAKER《KIJIMA TAKAYUKI》<br />不得意から生まれたクリエイションのルール

して雄弁な作り手ではないだろう。これまで頑にメディアへの露出を避け、生み出すプロダクトのみで評価されてきたハットメーカー《KIJIMA TAKAYUKI》。ブランド創設から現在まで、帽子作りへの一貫した姿勢を通してファッションと向き合ってきたブランドのデザイナー、木島隆幸氏にブランドの成り立ち、そして自身のクリエイションにおけるルールを訊いた。

vol.01
HAT MAKER《KIJIMA TAKAYUKI》が生まれるまで

「ひねくれ者だから、人と違うことをしたかった」

—まず、帽子のデザイナーになろうと思った理由を教えて下さい。

「中学生の頃からファッションに興味を持ち始めたんです。当時はアメカジが好きで、デニムやネルシャツなどの古着ばかり着ていました。高校生になってからは、80年代の『i-D』とか『THE FACE』といった雑誌に影響を受けてロンドンファションを少しかじってみたり。当時から色々なスタイルが好きで、ある時、自分は飽き性でひとつのカテゴリーに執着できないタチなんだな、ということに気づいたんです。漠然とファッションの仕事に携わりたいという想いはあったのですが、これだと洋服のデザイナーを目指しても、方向性をひとつには絞りきれないだろうと。じゃあファッションアイテムの中でも特に好きな靴を作るのはどうか、と考えて学校などを色々調べたんですが、学費が高くて断念。そんな時にちょうど友人から平田暁夫さんという帽子デザイナーの教室が週末にやっているというのを教えてもらって。その1年間の学費が靴の学校に比べて安くて、これなら自分で払える! ということで通い始めました。それまで帽子にさほど興味が無かったのですが、あまり着目されていないアイテムだなっていうのは感じていて。今でこそ、街を歩けば被っている人を多く見かけますが、その当時はすごく珍しかった。もちろん、デザイナーも少なかったし、お店もほとんど無かったですしね。ひねくれ者だから、人と違うことがしたいというのもあったんだと思います」。

—そこから本格的に帽子作りを学んでいくんですね。

「いえ、教室に通い始めたのはいいんですが、週に1日の授業にもろくに出席しない最悪な生徒で……。そうこうしているうちに1年間があっという間に過ぎてしまったんです。教室に通っていた時はバブル全盛の時で、すごい数の生徒がいたんですが、男子は2人だけだったんです。卒業のタイミングでたまたま先生のアトリエが男手を必要としていて、じゃあ明日から来るか?と、運良くすんなり入ることができたんです。平田先生はレディースの帽子をオートクチュールで作られている方なので、アトリエに入ってからは、1点1点その人にあった形やデザインで、ゼロから帽子を作るということを学ばせて頂きました。今考えると素晴らしい経験だったと思います。当時は多くのブランドがデザイン性の高いスタイルを打ち出していた時期で、帽子もこれでもかっていうくらい派手なものばかり。それこそ、ゴムなどの変わったマテリアルで帽子を作りたいというオーダーが来たりして、どうやって縫ったらいいんだ、みたいなことも多々ありました(笑)。ありとあらゆる難しいことは経験させてもらえたので、技術的なことはもちろん、アトリエでのすべての経験が今に活きていると感じます」。

「衝撃的なひと言がブランドの方向性を決定づけた」

—独立後、自身のブランド立ち上げられたのはいつ頃ですか?

「今からちょうど20年前です。僕は師匠のもとで、デザイナーではなく職人として働いていたので、デザインをするということに関しては全く無知でした。デザイン画から実際にモノを作り込むことはできても、肝心なデザインができない。独立してからは右も左も分からないまま、とにかく一所懸命手の込んだ奇抜な帽子ばかり作っていましたね。独立する前にちょうど、「UNITED ARROWS」の1号店が渋谷にできて、そこで見た栗野宏文さん(現UNITED ARROWS上級顧問)や鴨志田康人さん(現UNITED ARROWSクリエイティブ・ディレクター /Camoshitaデザイナー)のスーツにポケットチーフ挟んだクラシックなスタイルに衝撃を受けたんです。こんなかっこいい人たちがいるのかと。それですぐに自分が持っていた洋服を全部売って、スーツを買ったのを覚えています (笑)。毎週お店に通っていたので、当時販売員をされていた栗野さんと知り合いになり、独立後にサンプルを見て頂いたんです。その時、「モノとしてすごく良いのは分かる。でも、この帽子を被るシュチュエーションが全く想像できない」と言われて。当たり前のことかも知れませんが、当時の自分にとってはすごく衝撃的なひと言でしたね。どんなにクオリティの高いものや手の込んだものを作ろうが、それを被ることが前提にない帽子はどうやっても世の中には認められないんだなって。僕は“作品”を作ることで頭がいっぱいだったんですね。その言葉がきっかけで、帽子ブランドとしての方向性が定まっていったように思います。その後、発表したテンガロンハットをスタイリストの祐真朋樹さんが雑誌用に借りに来てくれたりしているうちに、メンズの問い合わせが多くなって、やってみようということで今に続いています。そうやって人との繋がりでブランドが確立されていった。だから、ただラッキーなんですよ(笑)。

vol.02
デザインソースとクリエイションのルール

about HIM

Designer
木島隆幸

ハットメーカー、《KIJIMA TAKAYUKI》のデザイナー。1994年《coeur》を設立。2013年よりブランド名を《KIJIMA TAKAYUKI》へと改名。ハットやキャップ、ニット帽など、そのクオリティとデザイン性の高さにファンも多い。東京・恵比寿に直営店を構える。


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